過去退行から得た今の自分の存在理由

The role of the work of the day

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ここ最近、コツコツいろいろ学び中でした。そのうちの一つ、ヒプノセラピー。名前は聞いたことがあっても、どういうものかは知りませんでした。ただ、ここ最近、たまたまというご縁が続くので、ピンときて、経験してみることにしたのです。すべては執筆中の小説のため。私は想像力が豊かな方であると思っていますが、空想的なファンタジーを描きたいわけではなく、どんなに遠回りでもいろいろ体験して見たものや、意味のある夢を見た場合にのみだけ、それを描写して執筆をしています。テキトーには描けないのです。で、はじめてのヒプノセラピーで、過去退行を経験してみました。


まず、Work_1


こんにゃくがやたら出てきました。そして、そのこんにゃくとしばらく会話をします。(笑)


Work_2


すごく昔、日本にいる姿の私は、白い着物のような服を着ています。裸足で神社の前で祈っていました。紙に筆で何か書いたものを持っていて、私が祈っていたのは、大地、木々、太陽など自然への祈りでした。その時代、私は今の父と一緒にいるのが分かりました。父の優しさが心の深くに伝え合ってきて、涙が止まりませんでした。父はただ、"誰かのために何かを作る" ことを当たり前にやっている人でした。今もそうです。

私は家族を持たず、聖なる自然への祈りだけに身を捧げて、静かに死ぬという最後のシーンが見えました。質素で自然に根ざした生き方を全うしたのです。不思議ですが、その時に感じた意識も浮かびました。



Work_3


とても大きくて力強い存在が現れました。顔立ちや容姿からして、閻魔様みたいな姿と言えばしっくりきます。しかし悪い人と良い人をジャッジする存在ではなく、ただ、人々の怒りや闇を引き受けている存在のようです。目が飛び出た怖い顔のお姿をしていました。



Work_4、5、とまだ続くのですが、この経験の中で私が感じたことは、やはり全部が繋がっているのだな、ということです。閻魔様らしき存在も、こう言っていました。

「お前の母もその両親も、全部が今のお前へと繋がっているのだ」


今の私へと続いている、ファッションや美に興味を持っていることも、夫と出会った理由も、全てが繋がっているのだと。しかしその根底には、実は全く同じ想いがありました。

それは、自然や大地への祈りと、愛のあるもの作りを大切に思うこと。愛を感じないモノつくりで、人々が感情に病を持つことへの悲しみでした。


何一つとして隔たれていない。すべては区分けできるものでもない。大きなサークルの中で繋がって循環している。自分も、親も、祖父母も、心が震えるような想いも、乗り越えなければいけないことも、全部が繋がっているのです。今の私へと、バトンを渡されているのだなということを経験したような感じがします。


今の自分の存在理由の輪郭がハッキリと浮かび上がる。





閻魔様とこんにゃくも、実は関係していたのです。小石川に「こんにゃくえんま」っていうのがあります。


1751~1764のころ、眼病を患う一人の老婆が、その好物の「こんにゃく」を絶って、一心に持病の平癒を祈願したところ、大王が老婆の身替りとなってみずから一眼を盲目とせられ、一方老婆の一眼は旧にまさって、視力を回復した、と伝えられたことから「こんにゃくえんま」あるいは「身替わりえんま」と呼ばれて、特に眼を患う人達の信仰を集めました。「こんにゃく」は、食物としての「こんにゃく」であると同時に、「困厄」という「苦しみ、わざわい」を表する熟語にも通じます。


実は私がイメージした「こんにゃく」も、胸の中にある息苦しさをビジュアル化したものだったのです。つまり閻魔様は「身代わりえんま」であったわけです。


内観することは、大事です。知識を得るだけでは、答えは見つかりません。

最後に、未来で出会った年老いた私は、こう言いました。


時間はあっという間にすぎるから、いま、できることをやりなさい。





神々の島、バリ島にて



Blog by Mami Grace Osada

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