自分を表現するとは、浄化でもあり癒しである

The role of the work of the day

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海外で生活する友人たちへ、現地に尋ねて、じっくり深い話しをするのが好きです。


どこまでも、人間とは、、、を考えさせられ、哲学的な時間の中に入り込むのです。

まるで不必要なものすべてを削ぎ落とすために一人で渡航して生きるその姿には、むき出しの人間が現れます。私はその姿がとても好きだと感じるのです。嘘偽りない、むき出しの人の姿。


なんのために生きるのか?


自分に向き合い、戦い、自分を理解していくと、その先に現れるものは、どこまでもどこまでも、どこまでも、、


自分だった




ロンドンに行く度に深い話をしていた大好きな友人の作品を見せてもらったときのことです。それを目にしただけで、「彼女と接触するよりも彼女を理解できたかのような」生命体みたいな作品だと思いました。

一目見た途端、私の胸の中に、どっと彼女の魂が入り込んでしまうような感覚。

彼女はそれを成し遂げていました。




自分を表現するとは、浄化でもあり癒しでもあるのだと思います。

逆に言えば、自分を表現できなければ、どこかに無理がくるのだろうと。


一体何に遠慮して自分に嘘をついているのか。それに気付いてしまった人は、もう逃れられない。自分に嘘はつけない。それ以外の生き方は考えられなくなる。

むしろ、自分の本来望む生き方でなければ、生きるエネルギーを失ってしまう。それほどまでに自分の心を感じて表現するということは、=生きるということそのものだと思いました。




自分を表現するとは、浄化でもあり癒しである。


eriko j takeno



Blog by Mami Grace Osada

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