ブランド戦略や魅せ方、低下の所以

The role of the work of the day

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半年ほど前からだろうか、好きだったブランドのPVのクオリティが低下してきて、目障りになってきた。Facebookのタイムラインに流れてくる短い動画も、ある日突然、あれ?なんか、、完成度が低い。。なんというか、テクニックばかりが目についてしまう。それから数ヶ月様子を見てきたのだけど、クオリティが低いものを見るのは、とてもストレスがかかるものです。購買欲だって下がります。表面的だけのかっこよさ、おしゃれっぽいテクニックばかりが消費者をバカにしているようだ。ファッションのブランドなんだから、そもそも、おしゃれでかっこいいのは当たり前すぎてそこは基本前提。その上で、響くものがあるかどうか。手軽なクリエイターに安い賃金で任せたのだろうかと、つい、そういう想像をしてしまう。


そのブランドはかつて、女性と男性との2人でクリエイティブをしていて、昔の広告を見直してみると、今見ても丁寧で綿密な美と愛を感じるし、その完成度の高さに、この商品を手にしたいと心がときめいていた。履けもしないのに、メンズのスニーカーでさえときめいたほどだ。

女性性の直感的なインスピレーションと、男性性の、綿密で細部まで計算された美とのバランスがそのブランド力を大きく飛躍させていると感じていた。それが数年後に別々に分かれたのだった。もちろん、2人が1人になったわけだから、変化は当然のことだとわかっていた。だけどすぐに気がついたことは、このブランドは実は、女性性の直感、宇宙との繋がりやインスピレーションと、男性の綿密さ、具現化力で成り立っていたのかと、ようやくわかったのだった。


別々になったからこそ、わかったこと。

そしてその源泉がなければ、計算された美は生み出せたとしても、現代的なやり方や、テクニックに頼らざるを得ないのだろう。SNSでの数を多く出すことを目的としているのだろうけど、表面的で二次元的なものは、奥行きがなくて私は興味を持つことはできず、ブランド自体の価値をじわじわと低下させているように感じる。哲学、ストーリー、エモーショナルな部分、それらを上手く表現しているブランドは多くはなくて、デザイナーが変わるたびに、ただ売れればいいだけの戦略しか感じない。それでは、使い捨てデザイナーだ。


私は自分でも、キレイゴトを言うタイプの人間なのかもしれないと認識しているけれど、表面的なテクニックでつくられたものがあまり好きにはなれないし、だからそのために、自然の摂理、調和、宇宙のはじまりなどを調べ、それをクリエーションに生かしていくべきなのだと思っている。


想像主はなにゆえに、この世界を生み出したのか?


自然や宇宙の仕組みを私たちは学び、その上で、自分たち人間がどんな意図を持って「モノを生み出す」ことが重要なことなのかを考えるべきなのだと思っています。





Blog by Mami Grace Osada

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