悲しみでも嬉しさでもない涙

The role of the work of the day

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悲しさでもない、悔しさでもない、嬉しすぎて溢れるでもない。そんな涙を経験したことはありますか?


日本人の多くは、お正月や立春、春分などの節目に、神社で参拝する習慣があります。

その際に、心の中でこう祈ってみます。


ここにいる全ての人に
たくさんの幸せが訪れますように。
楽しい一年、良き一年になりますように。


と、ひたすら、目に映る全ての人の幸せを祈ります。

そうすると、なぜだかわかりませんが、不思議なことに心の奥底がぐっと熱くなって、目頭がじわっとしてきます。なぜでしょう。不思議なことです。きっとそれは、真実に触れた涙 なのかなと私は思います。


参拝の列に並ばないといけないときにも、まだかなぁと思わずに、目の前にいる人の幸せを祈ります。一番前で参拝している人の後ろ姿を見つめながら、一生懸命に祈っているなぁというその人の気持ちになってみて、「祈りが叶いますように」と一緒にお祈りします。

偶然、神社での結婚式の場面に遭遇したら、「二人の人生が愛と学びのある素晴らしいものでありますように」などと祈ってみるのです。





そうすると、これまた不思議なことに、心がぐっと熱くなります。目頭が熱くなって、あなたは思いがけず、泣くのをこらえなければいけなくなるかもしれません。

不思議ですが、祈りの力というものは、もともと皆が一つであるという真実に触れるかのような深い部分を癒します。日常では忙しくて祈る機会はなくとも、普段は人の噂話が好きでも、自分は優しくないと思っていたとしても、神社に行く機会だけでも、ちょっとだけ意識して、そういう行為をしてみることで、何かきっと目に映るあらゆる場面で、良きことが起こってくるのです。時々、氣が向いたらやってみて下さい。^_^





1月2日、長崎の平和公園にて、空が笑っるように見えました。

たぶんね、


Praying is a smile even in the sky.

祈りは、空でさえも喜ぶ



年末年始に渡り、このブログへの嬉しい感想をいくつかいただきました。とても励みになります。本当にありがとうございます。本年もいいタイミングでお届けできるよう、感覚的に発信して参ります。何卒よろしくお願いいたします。



Blog by Mami Grace Osada

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